Netflixリミテッドシリーズ(1シーズン完結のドラマ)で最高視聴記録を叩き出した「クイーンズ・ギャンビット」。
原作者が同じ映画、『ハスラー』を思い出させる心理戦ドラマです。見始めたら止められないので睡眠不足にご注意ください...。
【目次】
・クイーンズ・ギャンビットの舞台となった1960年前後のアメリカ
・作者が生きた当時のアメリカ――「個人主義」が築いた高く脆い壁
はじめに
このドラマはウォルター・テヴィス(1928年〜1984年 アメリカの小説家)が1983年頃に発表した小説が原作となっており、冷戦期に才能を開花させていくチェスの天才少女を描いた7話完結作品です。
主人公が美しく垢ぬけていくシンデレラストーリー。
チェスをよく知らない人でも思わず引き込まれる対局戦の緊迫感。
はたまた、複雑な生い立ちである主人公の葛藤と成長、そして圧倒的な強さで勝ち上がっていくチェスの才能。
この2本柱をあまりに深く、激しく描いているので見始めたらもう目が離せません。「次はどうなるのよ?」の連続で、他の用事を全て投げ打って観てしまいました。
観始めたら最後です。
ドラマチックな展開が「高揚感」を生み、途中でやめるという選択肢はあっさりと無くなります。辞めたくてもやめられず、次々と見続けてしまう・・・。
とてつもなく面白く、そしてとてつもない毒もあるドラマなのです・・・。
原作者の作風は「深い内省と丁々発止の心理戦」
ポール・ニューマンが主演したビリヤードの賭博映画「ハスラー」をご存知でしょうか。
1961年公開のこの映画は、ダークな世界で賞金稼ぎをする若者の葛藤を描いたヒューマンドラマで、原作者はクイーンズ・ギャンビットと同じ、ウォルター・テヴィスです。
主人公は天才的なセンスを持ったアウトサイダー。
その才能で次々と勝ち上がっていきますが、激高しやすく駆け引きに弱い若者がゆえに、業界に君臨するNO1のハスラーに心理戦で負けてしまいます。
その後も他人の思惑を見抜けない幼さが災いし、全てを失ってしまいますが、激しい性格で自制心が低かった彼を変えたのは「愛」でした。
非情で殺伐とした環境の中でもがきながら人の心を取り戻していく、そんな人間模様も巧みに描いている作品です。
Netflixのメガヒットドラマとなったクイーンズ・ギャンビットは、主人公がチェスの世界で頂点に登り詰める過程を追っていますが、「ハスラー」を彷彿とさせるような痛快な『勝ち上がり』で、視聴者の目をくぎ付けにします。
そしてこの作品でもやはり、登場人物たちの人間模様を通して閉塞感や孤独からの脱却を描いています。
因みにハスラーには2も出ており、原作はテヴィスの遺作となった「The Color of Money」ですが、こちらは原作とあまり共通点はないようです。
テヴィスの小説が原作の映画「ハスラー」と「クイーンズ・ギャンビット」――、その両方を観てみると、この2作品にはいくつも類似性があることにが気づきました。
作者が何に拘り、何を描きたかったのか。
2つの映画を観ることで1960年前後の時代感と作者が抱えていた苦悩が透けて見える気がします。
クイーンズ・ギャンビットの舞台となった1960年前後のアメリカ
ハスラーとクイーンズ・ギャンビット、どちらの作品にも賢く才気あふれた女性が登場しますが、実はどちらの登場人物もアルコール依存症という問題を抱えています。更に、クイーンズ・ギャンビットでは薬物依存についても描写しています。
作者が描いた1960年頃のアメリカ、その時代背景とはどのようなものだったのでしょうか。このドラマでは、主人公を取り巻く環境を通して驚くほど淡々と描写しています。
「男性社会」と「個人主義」――。
この頃のアメリカを表現するのに、こんな字面を紙面でよく見かけた方も多いと思います。
どちらの単語も今となってはステレオタイプな言い回しで、断片的な表現のように感じますが、当時は様々な議論が交わされたホットなタイトルでもありました。
「男性社会」という強い言葉の裏で進行した、『依存症』問題
当時は、女性が社会で活躍する場を獲得するのが現在よりも難しかったようです。
ですが1960年代も後半になると、「女性解放運動(ウーマンリブ)」が巻き起こり、女性を取り巻く環境は変化していきました。
このドラマの時代設定である1950年代後半から1960年代にかけての十数年は、女性の閉塞的な暮らしが限界に達し、様々な生き方を選択する意識が性別を超えて広まっていく過渡期であったようです。
当時のアメリカで、社会に居場所がなく孤独感を募らせていた女性達の多くが、アルコールの過剰摂取の問題に陥っていたことは知っていました。ですが、精神安定剤による薬物依存の問題が蔓延していたということは、このドラマを機に初めて知りました。作中、主人公べスの養母アルマもドクターからいとも簡単に安定剤を処方されています。
また、ドラマの冒頭に出てくるように、養護施設で子供に安定剤が支給されていたのも事実とのことです。このドラマでも、べスが幼少期を過ごした施設で安定剤を服用したことから、依存症との戦いが始まっています。
作中、ベスが薬物の高揚感で「頭をスッキリ」させてから、チェスの碁盤を想像し戦術を考えるというシーンが頻繁に出てきます。(実際にはスッキリではなく、ぼやっとさせていただけだと後にベスは語るのですが)
周囲はその危険性を警告しますが、べスの心に響きません。ですが最後のエピソード7で、状況は一転――、お金も自信も失ったべスが親友に苦しい胸の内を明かします。
「ワインを辞めなきゃ。薬も。掃除もしなきゃね」
「私は自分の脳を消しちゃったのかな」。
そして、ようやく我に返ったべスは、恩師の葬式に参列するために養護施設の前を通りかかるのですが・・・。
「二度とあの中に戻りたいと思わない」とつぶやくセリフ、その悲鳴のような呟きは、命からがら危機を逃れた人の心の叫びのように聞こえました。
短いシーンでしたが、環境を選べない苦痛と依存症への嫌悪のありったけを表現しているようで、非常にインパクトある映像でした。
作者が生きた当時のアメリカ――「個人主義」が築いた高く脆い壁
そしてもう一つ、当時日本でも急速に認識され始めた『アメリカの個人主義』ですが、ドラマの中では弊害として描かれています。登場人物達のセリフを介し、“人に助けられる事を嫌がる”個人主義の危うさを示唆するシーンもありました。
脚光を浴びるようになっていた主人公ベスが、ショッピング中に高校時代の同級生マーガレットとばったり顔を合わせるシーンがあります。
マーガレットは華やかな服に身を包み、穏やかな笑顔を浮かべながらベスに話しかけてきます。ベビーカーには可愛らしい赤ちゃんが。
ですが、ふとベビーカーの荷物入れに目をやったベスは、大量の酒瓶に驚きます。
実は作者のテヴィスもアルコール依存に苦しんでいた時期があります。
その間には大学教授の職に就いたりと恵まれた環境ではありましたが、作品の中に散見される「依存症から抜け出せない人」の登場頻度を考えると、作者もまた人知れず苦悩した一人なのだろうことが推察されます。
ドラマの中に、教師がスティービー・スミス(イギリスの女流詩人)の詩「Not Waving but Drowning」を朗読する授業中のシーンがあります。
Nobody heard him, the dead mam,
But still he lay moaning:
I was much further out than you thought
And not waving but drowning.
Poor chap, he always loved larking
And now he’s dead
It must have been too cold for him his heart gave way.
They said.
Oh, no no no, it was too cold always(still the dead one lay moaning)
I was much too far out all my life
And not waving but drowning.
タイトルは「手を振っているのではない、溺れているのだ」。
海で溺死した男の心情とそれを目撃した友人の心情を交互に綴っているのですが、最後まで読んだところで改めてタイトルを見ると、作者の意図が痛いほど伝わってくる秀逸な詩です。
詩は、男と友人達の舞台劇のようにナレーションを交え進行しています。状況などを付け足しながら私なりに訳してみました。
最初は後半部分をもっと踏み込んで意訳してみたのですが、少し分かりづらいようでしたので原文に近い訳に戻しました。
❝――男が倒れている。死んでいたのだった。彼は死んでもなおうめき声を挙げていたけれど、誰にもその声は届かなかった。
「僕は、君たちが考えてるよりもずっと遠く離れた沖にいたんだ。そして手を振っていたんじゃない、溺れていたんだ」
友人達は言った。
「かわいそうに。いつも陽気でふざけるのが好きな人だったけれど、お亡くなりになってしまった。こちらに向かって手を振っていたけれど、きっと海の水が冷たすぎて心臓発作を起こしてしまったに違いない」
「ああ、そんなんじゃないのに。僕はいつだって物凄く冷たくて」
死人は呻き続けた。
「たまらない程遠い、絶海の果てにいたんだ、これまでの人生、ずっとね」
「そして僕は手を振っていたんじゃない。溺れていたんだ」。❞
友人達は手を振っているだけだと思っていたけれど、その男は溺れていたのでした。
周囲は明るく振舞っている彼しか知らなかったけれど、実際には深い悩みを抱えていたのでしょうか。友人達との間に埋め難い距離を感じており、それを「絶海の果てにいるようだった」と表現しているとも読み取れるのがやりきれない詩です。
他者から理解されない孤独、自分の存在価値を見出せない苦しみ、そして依存症という落とし穴。
これらを抱えながらも懸命に生きる登場人物達は、テヴィスの代弁者となって『孤独との闘い』と『再生』について赤裸々に語り、見る側に訴えかけているのかも知れません。
それでは次に、クイーンズ・ギャンビットのあらすじと感想を少しまとめてみましたのでご参考にして頂ければ幸いです。
これからご覧になる方はネタバレにご注意下さい。
クイーンズ・ギャンビットのあらすじ
1950年代。両親の不仲から父親と離れて暮らしていたべスは、母親の死を境に養護施設にやってきました。黙々と日々を過ごすベスはある日、用務員のシャイベルが興じていたチェスに興味を示すようになります。
その才能を見出されたべスは外の世界からも注目を浴び、シャリーンという親友もできますが・・・。施設で配布されていた精神安定剤の服用とその差し止めを経て、薬物からの離脱症状という苦しい経験も味わいます。
そして数年が経ち――養子に引き取られたべスは、養父が家族を捨てたため養母アルマと二人三脚で各地のチェス大会に遠征し、賞金を稼ぐようになっていきます。
ほどんど家に帰らない夫との結婚生活中、アルコールと精神安定剤が手放せないくらい生気のない生活を送っていたアルマは離婚を機に母親としての存在に専念し、べスの良きビジネスパートナーになることでみるみる息を吹き返し、輝いていきます。
一方べスは、チェスでの快進撃の裏でアルコールの量が増えていき、そして再び手に入ってしまった安定剤に頼るように・・・。
アルコールの過剰摂取によりアルマが遠征先のホテルで亡くなると、ベスの生活は一気に荒んでいきます。更にはロシアの強豪ボルゴフに2度目の敗戦を期すと、スランプのような精神状態に陥っていきますが、一人窮地に立たされていたべスを救ったのは、友人たちが差し伸べた温かい手とロシアの観客たちの熱狂的な注目でした。アルコールと安定剤を絶ったべスに新たな戦いが待っています。
そしていよいよボルゴフと3度目の対局が始まりました――。
クイーンズ・ギャンビットを観た感想
このドラマのクライマックスにロシアの強豪との対局戦を持ってきていますが、チェスに造詣のない私は思わずググってしまいました。ロシアってそんなに凄いのか?
すると出てくる出てくる、旧ソ連時代から現在に至るまで、チェスの世界ではダントツで世界NO1の強さだそうです。
登場人物のセリフの中に「ソ連はチームで戦う。対局中断の間に相談し合い、助け合ってる。だが、アメリカ人は個人主義だ。だから一人で戦うことになる」、チェスの戦い方の違いをこんな風に表現するシーンがあります。
チェスに関するロシアの教育プログラムがとても優秀なのだそうですが、ドラマではロシアで国を挙げてチェスが盛んな様子も描かれており、冷戦期のロシアを予想外に生き生きと描いているのにも驚きました。
これもテヴィスらしい、『表面だけを見ても本質は分からない』――そんな考えが反映されたシーンだと思います。
ストーリー自体は重く示唆に富んでいますが、覆して余りあるほどの切れの良いテンポとスタイリッシュな映像で、けして暗く進行させていません。エネルギーに満ち溢れた人物の描写が魅力の作品です。
ロシアの強豪との最後の対局――、様々な依存症と決別し、自尊心で勝利するべスに拍手です。